なにしろポンコツなのである。
大学時代、友達に「生きることへのやる気がなさすぎる」と笑われたことがある。なんの自慢にもならないけど、なんにも頑張れない。受け身。主体性?ない。子供の非認知能力をのばそう!というセミナーなどを受けると、これは子供というか私にこそ施したいことである。と思う(ましてや私が子供にその環境を授けるなど不可能である)
親がさずけてくれた「なんとなくちゃんとしてそうな雰囲気」を纏ってなんとなく40までやってきたが、なんとなく40を超えるともう親の苦労の結晶はすでになんとなく取れかかっており、なんとなくという雰囲気だけではなんともならない。
行動の全てがトラブルを呼ぶ恐怖のポンコツおばさんの爆誕である。
こういう人間は、どうやって生きていけばいいのかな?と、2回目の育休復帰後、考えている。ワーママ向けのライフハックなどは基本仕事ができる、仕事を頑張っている、手が早い、頭の回転が早い、といった類の人が主体者というか視線の持ち主になっている気がして、なんだか寂しい。悲しい。世界中のどこかにいる仕事できない要領悪いポンコツワーママたちはどのように日々を過ごしているのだろうか?と思う。おーい、縮こまっていますか。私もウジウジしているよ。
発達障害の本を読んだりもしているけど、自分の努力不足を何か自分とは切り離した何モノかのせいにしているだけのような気もする。(この責任転嫁の姿勢こそが、当事者意識のない、ポンコツぶりの一部の表出でもある)今「どうしても頑張れない人たち」(宮口幸治氏、新潮新書)をオーディブルで聞いているが、私はただただ努力が足りていないただの人ということが読む(聞く)ばかりにわかってくる。無。
少し自分を励まして、やることを書き出してみる。
1頑張る経験を今からでも積む
2頑張れる環境に身を置く(自分の適性にあった仕事、生活、やり方)
3ストレスマネジメント頑張る
結論「頑張ろう」に尽きるのだが、おばちゃん、頑張れないんだってば。
細分化してみよう。
1頑張る経験を積む
・頑張るとは何かインプット(定義が好き、全体像がないと動けない)
・少し難しい、けど出来そう…かも…という目標を1日、週でたてる。または1日の中でちょっとやだな、でもやらねば、ということを、ひとつでもやる。
・やりたいけど出来ていないことを書き出す
・尊敬する存在を探して会う、そして感じたことを書く
・コミュ力、どうにかなりませんかねえ
2環境
・適性分析更新(ストレングスファインダー)
・仕事の中で好きな分野の仕事に手を挙げる
・仕事以外で、プライベートの勉強分野を探す。手をつけてみる。
3ストレスマネジメント
・早寝早起きで朝ストレッチ瞑想したいねえ
・シンプルに考える練習
・共感しすぎない
・家族との会話増やす
・周りの人は私にポジティブもネガティブも感じていないと固く信じ込む
・好きなこと、欲しいもの、やりたいことを常に書き出す。
・推しを持つ
お互いが絡み合うんだけど、努力の大きな障壁になっているのはコミュ力、そしてストレス耐性なのかなー。あとは努力って、頑張るって、なんなんだろう、と考えた時に、結局自分が何をしたいのか?それをするためになにが必要なのか?も大事である。
「ハワイに遊びに行きたい。経済的に自由になりたい。そのためにはお金を稼がなくてはいけない。お金を稼ぐためには、会社で一定の貢献をし、評価されて、継続的に良いボーナスを獲得する必要がある」
…うーん。やる気出ない。どうして。
不思議なのは、私が「この人まともだな」と思う人たちは、みんな、こんなごちゃごちゃネチネチとやる気の出し方など考えず、当たり前に仕事に責任感を持ち、頑張っている。少なくとも頑張っているように見える。
まあ、しかし、人は人。あれこれ書き出してみて、今日時点での結論は「こうなりたい」「やりたい」「したい」をもう少し明確に自覚していく、明文化していく、をやってみよう。そのためにブログも使おう。
(これ、20代の時から繰り返してるな…)
(ごちゃごちゃ言わずにさっさと動きなさいよ、という「まともな人」の声も聞こえる)
(でも)